三夜ものがたり











 「変えてくれだって?」

 筆を置いた土方が解せない顔で沖田を見返した。

 「何でだ」

 部屋を変えろと。
 部屋割りを決めて三日三晩のち、朝になって突然訴えてきた目の前の男は、だが同室の斉藤とは仲がよかったはずだと、土方は首をかしげる。

 「喧嘩でもしたか」

 「斉藤は関係ない」
 自分で座布団を引っ張ってきた沖田が、それへ座り込みながら即座に否定した。

 「余ってる部屋を遊ばせておかずに、」
 銜えていた草を口の端で揺さぶり、
 沖田は、この男の癖で目を細めながら座前の土方を見やった。
 「一人一人にあてがっちゃくれませんかね」

 「・・・そうは言われてもな。おまえら幹部連中に相部屋をあてがった理由は、万一の屯所襲撃に備えてのこともあるんだぜ」

 半分本当、半分でまかせである。

 「二人ならば、そういった襲撃の際も互いが互いを庇い合えるだろ」
 正直、相部屋をそれぞれにあてがった深い理由は無い。

 「襲撃ねえ・・」
 その理屈でいえば、
 組きっての遣い手の己らを同室にしておくのは効率が悪いんじゃないかと、沖田は土方の嘘を軽く見破って哂った。

 ようするに今更変えるなぞ面倒くさいのだろう。土方の沖田を見返してくる眼の色からも窺えた。


 「・・・分かった」

 沖田も、部屋を変えたい理由が理由なだけに。

 「失礼」
 すっぱり諦めると、土方の部屋を立ち去った。






 その日の昼間。


 「・・・んあ?」

 またも同じ用件でやってきた男を土方は唖然と、見つめた。
 見つめる先、

 「沖田が」

 斉藤が渋い表情で正座をする。

 「・・・沖田?」
 どうやらこちらは、もう少しやっかいそうだ。

 「沖田が何だ」


 聞き返した土方を前に、斉藤は正座した膝の上の拳をきゅっと握った。

 「・・・俺と同室では居心地が悪そうなんで・・」


 「・・・・」



 そうなのか?


 (だからあいつは今朝訴えてきたのか?)

 「それは・・」
 目の前で心なしか悲しげな目をして握った拳を見つめている斉藤に、
 土方はなんだか可哀相になって。

 「思い過ごしじゃあないか」
 そんなことを口走った。

 斉藤は。ふるふると首を振った。

 「思い過ごしではない。」
 断定する斉藤に、
 「・・・」
 土方は今度こそ言葉に詰まる。

 「・・俺の隣では寝たくないかのように、夜になるとどこかへ出て行ってしまう」
 「どこか?・・・どうせ朝には居るんだろ?」
 「いや・・、朝にも布団ごと居ません」

 「・・・」

 これは。かなり険悪かもしれぬ。

 (しかしそれじゃ、あいつはどこで寝てるんだ?空き部屋か?)

 「昼間も、俺が先に部屋に居ると出て行ってしまう。沖田が先に居た時も、俺が戻るとそのうち出て行ってしまう・・」
 だんだんと、言いながら斉藤の顔から表情が薄れていく。
 これまでの沖田との友愛によって取り戻したはずの、表情が。

 「俺が何か気に障ることでもしたのかと、尋ねたことがある。そんなことはないと返されたのに、そのあとも態度は変わってない」
 嫌われてるんじゃないかと。斉藤は小さく呟いた。

 「斉藤・・」
 斉藤と沖田は馬が合って、傍からみても二人は仲が良かった。
 いったい二人の間に何が起きたのか、

 いや、斉藤は変わってない。
 斉藤の話の様子じゃ、沖田の態度が変わったのだ。
 だが、

 (何故)

 「沖田と話がしたい。今、ヤツはどこにいる」

 「・・部屋には居ません」

 「見つけたらでいい、俺んとこにくるように伝えろ」

 頷く斉藤を見ながら、土方は困ったことになったと溜息をついた。



 結局、夜になっても沖田は現れなかった。あれから斉藤は沖田を見なかったのだろう。

 (どこをほっつき歩いてんだ、あいつ)

 非番の時の沖田は、懐手にふらりと出て行ってしまう類いの男だ。
 どうせ放っておけばいつのまにか帰ってきているノラ猫みたいな具合である。

 斉藤は、と土方はふと思った。
 非番の日には、室内でもくもくと刀の手入れをしていたり、骨董の手入れをしていたり、下帯を洗濯していたりする。
 黙想していることも多々ある。

 『よくそんな長い時間、正座してられるな』

 そう言い沖田が黙想中の斉藤のまわりにまとわりつき、ちょっかいかけ、からかって怒らせ、追いやられるのに懲りずに戻っては邪魔をし、そうして斉藤で遊んでいるのも恒例だった。

 二人のそのやりとりを見ているこっちは和んで楽しんでいる。いや、沖田も楽しんでいる。斉藤だけがとんだ目にあっているのだが、
 いつもそうして斉藤がついに諦めて背を向けてしまう時に見せる沖田の、それは愛おしそうな情を込めた眼差しに、
 ふと土方は思い当たった。


 (・・・っ、あいつが、斉藤を嫌うなんざ、死んだってありえるかよ)

 友の仲にしては沖田の、斉藤へ向けるあの眼は、少し違うものがあるのを。
 土方は今日の今日まで気づかずに、いや、心のどこかで見て見ぬふりをしてきたようだと。


 「・・・あの馬鹿。」

 沖田が斉藤を避け始めた理由が、気づいてしまえばあんまりに明快な。
 そう、それは同室という”拷問”ゆえだったと。

 そういや部屋割りを知らせたときの沖田の見事な眉間の皺は、そういうことだったかと今更ながら土方は納得した。

 (悪かったな。勝手に同室にしちまって)
 同室になってからの、今朝までの三日三晩はそれは酷い寝不足だっただろうと、
 土方は沖田に詫びたくなって、それから、
 膝を突き合わせて語りたくなった。自分にとって弟同然の存在が、ややこしい慕情を抱えているとなれば。

 仲が良いとは思っていたが、そうなるとはな。・・・そうなる、いや斉藤のほうはどうなんだ?

 考え出して結局、土方は頭を抱えたが。








 「沖田・・」

 夜遅くになってふらりと帰ってきた男を。斉藤は布団の中から顔をもたげて見つめた。

 「ひとつ聞きたい」
 呟くように告げた斉藤に、

 「俺もおまえにひとつ聞きたいことがある」
 予期せぬ言葉が戻ってきて斉藤は暫し黙した。

 「・・先でいいか」
 やがて尋ねた斉藤に、
 閉じた障子の、外の薄光を背に沖田が短く頷いた。

 「なら聞く。本当に、俺は何もあんたの気に障ることはしてないんだな?」

 「してない」

 「ならばなぜ避ける・・っ、」
 「ひとつと。言わなかったか」

 沖田の影が部屋を横断する。
 追うように、
 二句を遮られた斉藤の眼が沖田を睨みつけ。

 (斉藤・・・)
 薄闇に淡い輪郭を零す、きらきら光る眼は。すぐ真下に見える位置まで来た沖田を捕えた。

 布団から体を起こし。目の前に来て己を見下ろしてくる闇の姿を斉藤のほうは、まっすぐ見上げ。
 だが薄光を背にした沖田の顔が見極められず、斉藤は
 「座れ」
 腕を伸ばして沖田の着流しの裾を引いた。
 その手がいきなり掴まれた。

 「好きだと言ったらどうする」

 突然ふってきた言葉に、斉藤は瞬時に意味として受け取れず。
 ただ本能的に払い退けようとした手が、さらに強く掴まれ、
 斉藤はむしろそれで沖田の意図することを知った。

 「・・ッ、なにを」
 「おまえが欲しくてたまらない」

 「だから何を言っ・・気でも狂ったかっ」

 「おまえに対して狂ってるのはとっくだよ」

 「何をわけのわからないこと・・」

 普段なら、笑い飛ばせるような、冗談だと受け取れる言葉のはずが、今のこの場では真剣をかち合わせて鍔迫り合いをしているような気迫に圧され。
 とても冗談には。

 「馬鹿を言うのもいいかげんに・・!」
 それでも冗談だとして、流そうとした。
 ここで冗談として受け取っておかなければ、この先は無いと、斉藤は圧される気に呑まれそうになりながら感じる。
 自分は、
 沖田とその一線を越えるものなど持たないのだから、・・・

 (・・・そうなのか?)

 自分は本当に。この男に、

 「応えられないか俺に?斉藤」


 掴まれていた手が、己のほうへ押された瞬間。
 起き上がっていた斉藤の上半身は、背から激しく布団へ叩きつけられた。

 「応えられないのなら、金輪際諦める」
 「っ・・あんた、」
 言っていることとやっていることが違う。
 斉藤は上にのしかかられ押えつけられながら胸内で舌打ちし。
 もがいて見上げた先で、
 沖田が存外に生真面目な眼をして見下ろしていた。

 「好きだ」

 「・・そ、」
 そんなの言えばどうにかなるってもんじゃない。
 悪態つこうとして開いた唇を塞がれた。

 「―――ッ」
 男に口を吸われる感触は大して違和感のあるものでもないのだと、それに驚いたのか、奪われて驚いているのか、男に口を吸われても壊れてない自分に驚いているのかよく分からなかった。
 猛々しい力で舌を絡め取られ吸われ、息をつぐのも許されずにいるうち、急に瞼の奥が白くなり。漸く、
 抵抗するという手段を思い出し斉藤は。噛み付こうとした時、

 一瞬早く沖田が唇を放した。
 「危ねえ」
 間一髪で噛まれるのを避けた沖田が、斉藤の上でその場にそぐわぬ笑みを漏らし。

 「おき・・」
 その怒りに紅潮した瞳で。己の腕の下、見上げ睨みつけてくる斉藤に、
 沖田のほうは細めた目で見下ろしながら、息をついた。

 斉藤の整った凛々しい男顔に、その眼に、眉間に、唇に。
 己好みの、この征服欲を腰奥からそそる表情が、誰のせいでもなく己のせいで加わる、

 たまらない、と。

 「ふ・・ざけるな、どけ」
 「悪いが、」
 これほど誘うように壮絶な色香を醸し、なにが退けだ。思いながら沖田は脳裏で、花に惑わされる昆虫に己を錯覚させ。

 蜜まで吸わせてもらう

 そんな、本能の欲する儘に。
 薄闇で白く浮かぶ首筋へ吸いつき。
 「やめ・・やめろ、」
 仰け反った斉藤の、襟の内にのぞく白肌の蜜を舐めとるように舌を這わせ。


 「やめろ・・気持ち悪い・・!やめ・・、・・っ・・やめてくれ!!」

 悲痛な叫びが、続いた。


 ・・・昆虫は、蜜を吸いきるまで、己が満足するまで。止めやしないだろう。
 沖田は。

 猛る己の腰を密着していた斉藤の上から浮かせ。
 斉藤を抑えつけていた腕の力を弱め。
 もはや触れることが容易くなった、瞼へと。小さく口付けを落とし、

 「悪かった」

 身を離した。


 「悪かった」

 もう一度、吐き出す。
 斉藤の眼の色が脱力し薄れてゆく。戸惑って沖田を見上げてくるのへ、

 「好きだ」
 囁いて。

 「ずっとこういう意味でおまえが好きだった。・・・避けていたわけが知りたいなら、もう分かったろ」



 斉藤の滲んだ瞳が揺れた。

 沖田はそれを見届け、部屋を立ち去った。